よくある質問

葬儀に関するよくある質問

香典の差し出し方

香典を持参するのは通夜か葬儀へ参列するときで、死亡の知らせに、とりあえず弔問という段階では早すぎます。 通夜や葬儀の開始前には、式場に弔問を受けるための受付が設置されていますので、「このたびはご愁傷さまでございます」と、ひとことお悔やみの挨拶を述べて香典を差し出します。 なお、まだ受付が設置されていない様子なら、直接祭壇の上に供えます。

不祝儀(ふしゅうぎ)袋はむき出しのままでなく袱紗または小風呂敷に包んで持参し、差し出す間際に手早くたたみ、その上に香典をのせます。必ず両手を添えて包みを持ち、相手の正面に向けて差し出します。このとき、用意された記帳簿に、氏名や住所などを記帳します。 通夜や葬儀に参列できない場合、現金書留で郵送しますが、不祝儀袋に納めた香典にお悔やみの手紙を添えます。
【裏側の折り方にも注意】
慶事とは逆で、先に下側を折って、上の折りが下向きになる様に重ねます。返しが下に向くことで悲しみを表しています。 裏側に名前や金額を書く欄がある場合は記入します。 蓮の花が印刷された香典袋も多く見かけますが、これは神式やキリスト式のお葬式では使いません。仏式のときだけ使用するようにしましょう。

仏式の場合 御霊前・御香典・御香料
神式の場合 御霊前・御玉串料・御神前
キリスト式の場合 御霊前・御花料・献花料
無宗教式の場合 御霊前
香典などの辞退

故人の遺志、あるいは他の意向によって、香典、供花、供物を辞退することがあります。
これは、死亡の通知をして、通夜や葬儀の日程を知らせる段階で同時に伝え、ほかの人に伝言する場合もよろしくと、念を押します。 弔問者や会葬者は、事態の事を知らなければ、当然のこととして用意してきます。 また、そのようには聞いているがどうしたものかと、迷って持参する人もいます。 いずれにしても、一般的な儀礼に従って、あるいは厚意として持参するわけですから、断るときの言葉にも気配りが必要です。 実際に断るのは受付係などの世話役ですが、あまり事務的にならないようにします。 「ご厚意ありがとうございます。せっかくではございますが、故人の遺志により辞退させていただきます」など、丁寧に理由を述べます。

通夜や葬儀を、斎場など自宅以外で行うときの心得


土浦セレモニーホールの親族控室

最近は、自宅以外の所で通夜や葬儀を行うことも多くなりました。
その場合は、受付などの事務は喪家側で行いますが、ほかの諸準備や接待、雑務の大半は、葬儀者に任せることができます。自宅から出向くときは、電金、不祝儀用袋、認印なども持参すると便利です。また、式場で喪服に着替える場合は、不測の小物類を忘れないようにチェックします。 通夜も斎場で行うときは、最後の夜を遺族が故人に付き添うことができるよう仮眠のできる設備を備えたところもあります。(土浦セレモニーホールでは、宿泊設備を完備しております) 一夜を過ごすためそれなりの用意をして行きます。

無宗教式葬儀を行う時の手順

葬儀も独自性を貫きたいということから、無宗教式の葬儀が増加しています。
そうした場合、親戚などから反発する意見が出ることがありますが、最初の段階で趣旨よく説明し、納得してもらいます。また、参列者にもその内容を告知して、遺志が生かされるように理解を求めます。
無宗教の場合、棺や祭壇も宗教色のないものを選びます。また、音楽を流すとか、献花をするとか、式の内容について葬儀社と相談します。 なお、戒名(かいみょう)がないと菩提寺(ぼだいじ)へ埋葬できない場合があります。墓はどうするか、法要に相当する行事はどうするか、なども考えておきます。

花環や生花などの供花、供物を配列する順番


花環や生花の配列順はしばしば問題になりますが、祭壇に近く、高い位置が上座と覚えておきます。基本的には近親者など関係の深い順に並べ、職場関係者や友人なども、よりかかわりの深い順とします。無宗教式などで、祭壇のしつらえ方によっては、順番にこだわらず、先着順に並べていく方法もあります。 最近は、供花の贈り主の名前はつけずに、五十音順にした芳名板を別に掲げたりしています。また、白い花にこだわらず、故人の好きだった花を中心に色花も用いられます。 仏式や神式で供えられる供物も、配列の順序は同様に考えます。

僧侶への対応(通夜)


読経や法話が終わると、控室へ戻り、着替えをします。そのあとの通夜ぶるまいは、僧侶だけ別室でもてなすことができれば丁寧ですが、部屋数や人手の関係で、他の人と一緒にすることが多いものです。その場合は上席へ案内し、隣席に喪主が座ります。
都合により、僧侶が通夜ぶるまいを欠席する場合は、「御車料」、「御膳料」もしくは「持帰り用膳」を包みます。御布施は、まとめて渡すのが一般的です。(タイミングは葬儀社の人に相談して決めます。)遠隔地の菩提寺から来てもらったような場合は、菩提寺と相談してホテルなど、通夜の日の宿泊が必要かどうか確認し、必要であれば予約します。遺族が対応に慣れていなければ、親戚のなかで経験豊富な人を僧侶係りにして、案内や交渉を引き受けてもらう方法もあります。

「遺族挨拶関連」通夜の挨拶(亡父を偲んで)

(弔問や階層へのお礼、生前のこうぎ好誼に対する感謝、故人の回想などを中心に述べる。ある程度の年齢に達していれば、その生涯を特徴づける話題をいれるのもよい。) 今夕はお寒いなか、またご多用のところをご弔問いただきまして、たいへん恐縮しております。そのうえ、ご丁寧にご厚志まで賜り、厚く御礼申し上げます。亡父は、一昨年の夏ごろ身体に異常を訴え、検査の結果、胃癌であることがわかりました。その後、高齢ながら手術に踏み切り、数回の入退院を繰り返したのち、昨日早朝、七十八年の生涯を閉じました。
ご存知の通り気丈者ですから、家族はあまり迷うこともなく、いわゆる告知をいたしました。 それがかえって父のためにはよろしかったとみえて、特に動揺する様子もなく、身辺の整理や趣味の短歌をまとめる作業などに、残された時間を費やしました。 以前、「○○○○」の賞を頂いたこともある短歌には、特別の思い入れがあったようで、いつか作品集を自費出版したいとの意向を持っていたようです。 生前に、それが実現しないまま終わったことが、亡父にとって、唯一心残りであったのではないかと思います。 先ほど、皆様には故人とお別れをしていただきましたが、ご覧の通りの安らかな表情で、近所へ散歩にでも出かけるようにしてあの世へ旅立ちました。
平凡な日常生活を大切にして、気負うことなく淡々と生きてきた年月は、それなりに幸せな一生でした。 そして、皆様から故人の思い出話を聞かせて頂き、私ども家族の知らない側面を、いろいろ知ることができました。亡父が、いくらかでも、皆様のお役に立っていたことがわかり、なぜか本当にうれしく存じました。亡父は、さいぎょう西行の歌、「願わくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもちづき望月のころ」が好きで、このうように死ぬことができたら本望だろうなあとよく言っておりました。 桜の季節にはもう少し間がありますものの、春も間近の穏やかな朝、家族の見守るなかで息を引き取り、よい最期を迎えることができたと思っております。
今宵は、十分なおもてなしもできませんでしたが、時間もだいぶたってしまいました。 こののちは、家族や親族で、通夜をつとめることにいたします。 本日は、まことにありがとうございました。
※三省堂 冠婚葬祭辞典より

「遺族挨拶関連」喪主(遺族代表)挨拶


本日は、ご多用の所、ご会葬を頂き誠にありがとうございました。生前からご親交頂きました多くの方々に御見送りを頂き、故人もさぞ喜んでいると存じます。 ここに、生前のごこうじょう御厚情に対し厚くおれいを申し上げます。これからは、私たち一同、故人の遺志を継ぎ頑張っていく所存でございます。どうぞ宜しくお願い致します。出棺に先立ちまして、ひと頃ご挨拶申し上げお礼に代えさせて頂きます。本日は誠にありがとうございました。

「遺族挨拶関連」告別式・葬儀式の挨拶(亡母を偲んで)

(急死の場合は、準備がないだけに死を不条理としてとらえ、やり場のない心情を吐露することも多い。
あまり感情的にならないよう、できるだけ抑制して語る。)本日は、ご多用の折にもかかわらず、このように多くの方々にご参列頂きまして、まことにありがとうございます。 母の存命中には、なにかとご厚情を賜りました皆様に、お心のこもったお見送りをしていただき、母も感謝していることと存じます。母○○の死があまりに突然のことでしたので、遺族一同は、まだ現実のこととして受け止めかねているところがございます。母は、薬剤師として病院に二十八年間勤務してまいりましたが、仕事と家庭を両立させ、常に忙しく働いていた姿が目に浮かびます。特に父が亡くなりましてからは、一家の中心となって私たち兄弟二人を育ててきました。その子供たちも相次いで独立し、ようやく穏やかな日々が送れると、これから始まる第二の人生を楽しみにしておりました。そんな矢先、旅行先で心筋梗塞にて倒れ、そのまま帰らぬ人となってしましました。
享年五十五歳、運命とはいいながら、悔やんでも悔やみきれないものがございます。母は、静岡県沼津市の、千本松原に近い所で生まれました。そのせいか海が大好きで、「今度の旅行も海と温泉のセットなのよ」と、出発前日にうれしそうに電話してきました。このときは、まさかその声が最後になろうとは、夢にも思ってはみませんでした。子供のころは、毎年夏休みに母の生家で数日をすごしたものですが、千本松原を一緒に歩いたこと、泳ぎを教えてもらったことなど、次から次へと思い出があふれてきます。突然母を失った驚きと悲しみは、これからさらに深くなっていくような気がいたします。いろいろな苦労をかけたまま、なにも報いることができないうちに、母を送らなければならないのは、なんとしても無念でなりません。しかし、いつまでも涙にくれているのは、母の意にそうことではないでしょう。残された私ども二人、母に見守られながら、なんとか立ち直って生きなくてはと考えております。
気持ちをうまく整理できないままのご挨拶ではございますが、御礼の言葉とさせていただきます。
※三省堂 冠婚葬祭辞典より

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